« ノーベル賞委員会の気概に賛辞 | トップページ | 幸福実現党が中国の真意を理解し、警告を発している理由 »

2010年10月12日 (火)

1972年外務省資料「尖閣諸島について」

1972年外務省資料「尖閣諸島について」(PDF)
が公開されています。

この資料は他のブログでも取り上げていますが、
疑問点があります。

それは、
どういう訳か「世界日報社」の特集記事の資料になっています。
世界日報社は、信頼できるメディアなのかは疑問です。
なので、それを考慮して見て下さい。

Photo
1972年外務省資料「尖閣諸島について」(PDF)
(資料目次)
1.急に起こった問題………………………………… 3
2.わが国に編入されたいきさつ…………………… 6
 (1)慎重な編入手続き……………………………… 6
 (2)戦前におけるわが国の支配…………………… 6
 (3)戦後における支配……………………………… 7
  (イ)米国政府の施政上の取扱い………………… 7
  (ロ)久場島、大正島の射撃場設置……………… 7
  (ハ)南小島における台湾人の沈船解体工事…… 8
  (ニ)領域表示版及び地籍表示標柱の建立………10
  (ホ)日本政府による学術調査……………………11
3.わが国はこう考える………………………………12
 (1)先占による領土編入……………………………12
 (2)明確なサン・フランシスコ平和条約…………14
 (3)中国側の文書も認めている……………………16

 
  
以下は、「これが、今日の1押し記事」さんの記事です。
これが参考になるでしょう。
 
これが、今日の1押し記事

外務省72年冊子、本紙HPで掲載 /中国が尖閣を日本領扱い 2010-10.05火 09:24:05
 
 沖縄県尖閣諸島沖での中国漁船による海上保安庁巡視船衝突事件で、尖閣諸島問題がクローズアップされているが、中国側が尖閣諸島の領有権を突然主張し始めた直後の1972年に外務省情報文化局が発行した冊子「尖閣諸島について」を、本紙はホームページ(HP)に掲載している。

 これは、同冊子(36㌻)を本紙が19㌻のPDF版に編集したもの。外務省は当時、同冊子を国民向けに10万部発行したが、現在は多くが散逸し極めて得がたい資料となっている。

 外務省は「尖閣諸島の領有権についての基本見解」なる説明文をHPで載せている。だが、表現が簡略化されている上、「尖閣諸島について」に掲載された尖閣諸島がわが国固有の領土となった経緯が分かる歴史的な写真をはじめ、尖閣諸島を日本の領土と認めた中華民国政府や北京の出版社発行の地図を参照することはできない。

 特に、冊子は「中国側の文書も認めている」の項目を設け、台湾が1970年に発行した国民中学地理科教科書(初版)の琉球群島地形図を示しながら「国境線が台湾と尖閣諸島との中間に引かれ、また尖閣諸島は『尖閣群島』というわが国の島嶼名が使用されている」と指摘。また、翌71年発行の再版教科書の地図も掲載して「国境線が書き改め」られ、尖閣諸島の名称も「『釣魚台列嶼』という中国語の島嶼名」に書き換えられたことが一目瞭然。さらに、1958年に北京の地図出版社が発行した「世界地図集」の日本図を載せ「尖閣諸島は『尖閣群島』という島嶼名の下に日本の領土としてとり扱われています」と指摘している。

 本紙HPのアドレスは、http://www.worldtimes.co.jp/
 
[関連記事]
かつて尖閣諸島には、日本人が住んでいた!
 …明治40年頃の尖閣のスナップ写真集が、決定的な証拠です。
 

|

« ノーベル賞委員会の気概に賛辞 | トップページ | 幸福実現党が中国の真意を理解し、警告を発している理由 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1972年外務省資料「尖閣諸島について」:

« ノーベル賞委員会の気概に賛辞 | トップページ | 幸福実現党が中国の真意を理解し、警告を発している理由 »