競技の神様に愛された
2010-02.27金、リバティ4月号を購入。
魅力に満ちた記事が豊富なので、発売日に購入することが多いです。
さて、連日盛り上がっているバンクーバー・オリンピックも間もなく
閉会を迎えようとしています。
スポーツライター小林信也の「クロスプレー~心技体の”新”常識~」
の記事で上村愛子選手(30)のことが取り上げられていました。
こういう見方もあるということを知ってもらいということで
このブログでも取り上げました。
上村選手の印象的な言葉は何と言っても
「なんで、一段一段だろう」でしょう。
(初出場の長野7位,ソルトレイク6位,トリノ5位,今回4位)
さて、これをどう見るか?
結果だけをみれば、「勝利の女神に見離された」
という見方もできるかもしれない。
しかし、筆者は、これほどモーグルの神様に愛された選手は少ない
のでないかと語っています。それは、次のようなことです。
①オリンピックの大舞台で7位,6位,5位,4位、期待をことごとく
打ち砕かれながらも、そこには、確かな努力と成長があった。
そして、その滑りは、メダルがなくても多くの国民に感動を与えた。
それは、「メダルがすべて」の風潮に一石を投じた。
上村選手は、ある意味で金メダリスト以上に競技から多くを学び、
金メダリストよりも深く人々の心の中に刻まれ続けるであろう。
②ひたむきに取り組む姿を競技の神様はちゃんと見ている。
競技の神様に愛された結果がメダルとは限らない。美しい敗者も
また競技の神様に愛された証。
③上村選手の新たな人生への旅立ちを期待する。
4年後への期待は年齢的に厳しい。
それよりも、上村選手が獲れなかったメダルへの想いを日本中で共有し、
後輩たちに託すのもまたひとつの生き方。
[ツカミルのコメント]
メダルを獲得することは結果に過ぎない。目標に向かって、ひたむきに取り組む姿が美しい。
(上村選手は、家族や周囲の人々に支えられ、人生そのものが充実しているようです)
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